私から見た古澤さん
  古澤さんの誕生日はすぐに覚えました。偶然ですが、私の母の生まれた年と、姉の生まれた月日を組み合わせた生年月日になっていたからです。古澤さんが私にとって特別な人に思えるのは、もしかしたら、こんなところにあるのかもしれません。

  私と古澤さんとの年齢差は、母との年齢差と同じです。知り合った場所は会社で、当時の立場は、古澤さんが取締役、私はただの社員です。研究所長、取締役、理事を前にして、私が新しい課題を提案するという場で、審議する側に古澤さんが居ました。一部上場企業の取締役ですから、私から見れば「偉い人」でした。会社の仕事以外にも、何かすごいプロジェクトの統括責任者になっているとか聞いて(じつは、あまり知らなかった)いましたし、会社の誰もが一目置く、遠目には恐い人でした。空手の有段者とも聞いていました。質問は、ほとんどが古澤さんからばかりで、それも私の提案とは関係のない事ばかりでした。他の方からは、それぞれ一言か二言くらいでした。残念ながらその時の私の提案は却下されました。

  ですが、その時の古澤さんとの質疑応答が記憶に残り、何かに惹きつけられる感じがしました。直属の上司に相談して、その時の所属部署に机を残したまま、別の部署である古澤さんのいる研究室に出入りするようになりました。しばらくの期間は、一日のほとんどをその研究室で過ごし、直属の上司には時々報告をする程度でした。古澤さんの研究室に居たといっても、古澤さんの居た場所と私が居た場所は階が違うので、話をする機会は意外に少なかったように記憶しています。ある時、何故か平日にスキーに誘われました。スキーは大好きでしたし、古澤さんに誘われたのが嬉しかったものですから、有給休暇をとったのは言うまでもありません。朝の通勤ラッシュの駅を、スキーを担いで古澤さんと歩いている時、古澤さんが、「こうして周りの皆が仕事に向かう中を、自分たちが遊びでスキーに出かけるのは、少し後ろめたいものを感じるな。」というようなことを、ちょっと嬉しそうな顔をして言ったことを覚えています。普段の仕事を少しサボる感覚を共有したような気がして、そしてそのことを古澤さんに言われたことが、私には嬉しいことでした。

古澤さんとは、何度か一緒にスキーを滑っています。霧が深い、人のほとんど居ないゲレンデを、コースの堺も良く分からないまま、足元のコブも見えない状態で、自分の直感を頼りに思いっきり飛ばし、私のすぐ後を古澤さんが滑ったことがありました。コブにぶつかってからコブがあったことにに気付くという状態では、小さなコブでも大きな衝撃となりバランスを崩します。先の見えない状態で滑ると、いつコースアウトしてどこに落ちるか分かりません。私の滑りをすぐ後ろから見ていた古澤さんが、あとで「クレイジーだ!」とか言っていましたが、私には大変な褒め言葉に聞こえました。古澤さんの「アホやなぁ」、「何も考えていない感じがする」という表現も、「あなたのことが大好きです。」とうように聞こえました。

                                     沼田文男